今回、語釈を引用した国語辞典は
『岩波 国語辞典 第7版 新版』
かぼちゃ【(南瓜)】
◇ 語釈
うり科の一年生つる草。熱帯原産。夏、黄色の雄花・雌花を同株に開く。実は食用。とうなす。なんきん。▽Cambodia(インドシナの地名)から。
◇ 語源
カンボジア
◇ 私見
かぼちゃの語源が、カンボジアに由来することは広く知られているため、カボチャという呼び方が広まった時期について調べた。
1532年~1555年『草木六部耕種法(1829年)』 南瓜(ボウフラ)ハ最初東ニ印度(インテン)亜ノ柬埔寨(カンボチヤ)国ニ生シタル物ナリ故ニ又「カンボチヤ」トモ名リ此物ノ日本ニ渡タルハ西瓜ノ渡リタルヨリ百年許(ホド)以前天文年中西洋人始テ豊後ノ国ニ来舶シ国主大友宗麟ニ種々ノ物ヲ献シ大友ノ許(ユルシ)ヲヱテ其後毎年来レリ |
1579年『長崎年暦両面観(1828年)』 西瓜南瓜ノ種渡ル |
1661年~1673年『草木六部耕種法(1829年)』 此物ハ菓子ニハナラザレトモ諸魚諸鳥及ヒ豕猪等ノ肉ト共ニ煮テ食フトキハ無類ノ美味ナリト漢土人甚タ此物ヲ賞ス故ニ西国ニテハ此ヲ作ル者夛シ然レトモ京都近辺ニテハ寛文年中ヨリ植ルト云フ |
1713年『采覧異言(1713年)』 柬埔寨 |
1715年『海舶互市新例(1715年)』 柬埔寨船 |
1771年『武江年表(1850年)』 明和八年辛卯六月、柬埔寨瓜(かぼちやうり)の小きを、唐茄子と號してはやり出す |
1775年『物類稱呼(1775年)』 西國にてぼうふら、備前にてさつまゆふがほ、津國にてなんきん、東上總にてとうぐはん、大坂にてなんきんうり、又ぼうぶら、江戸にて先年はぼうふらといひ、今はかぼちやと云 |
1833年『竈の賑ひ 日用助食(1833年)』大蔵永常 唐茄子飯焚やう かみがたにてかぼちや又なんきんと云西國にてはぼうぶらといふ |
『物類稱呼』に「江戸にて先年はぼうふらといひ、今はかぼちやと云」とあるので、少なくとも1775年より前にカボチヤという名が広まったと思われる。また、カンボチヤという国名が日本で広まったのは、新井白石が書いた『采覧異言』や『海舶互市新例』であると推測される。したがって、カボチャという呼び方は、1713年~1775年の間に広まったのではないだろうか。
◇ その他
ボウブラは、ポルトガル語で瓜類を意味する “abobora” が語源である。
「カボチャの語源」でググると、1532年~1555年に渡来した当初「カボチャ瓜」といい、後に「瓜」が落ちて「カボチャ」というようになった、と誤った説明をしているものが多い。コピペで広まった嘘だろう。
カボチヤと云、一名ボウフラと云、カボチヤは其出處の地名にてボウフラは其瓜の變名なるべし、暹邏と云國の東南に占臘國あり、又眞臘とも書く、一名柬埔寨とも云、カンボチヤとよむ、採覽異言に見たり、此カボチヤ瓜、予が幼少より弱冠のころ、享保年中までは市にて賣らず、無が故也、稀に人の家園に種る者も有し、長崎などより、其種を傳來せし にや、常見なれざる物なれば、毒物ならんかとて、食せざる人もありし、元文の頃より所々にて種へ弘めて、今は市に多く賣り、夏秋の菜物となれり、
『安齋隨筆(1764年~1784年)』
『安齋隨筆』や『武江年表』に「カボチヤ瓜」と書かれているが、便宜上、語尾に瓜を付けただけである。それに、『物類稱呼』や『竈の賑ひ』によると、そもそもカボチャという言葉は江戸で広まったことが分かる。
ふんわりとしたまとめ
かぼちゃの語源は、カンボジア
参考
- 岩波 国語辞典 第7版 新版
- 竈の賑ひ 日用助食
- 教令類纂 初集 第3巻
- 近世日本国民史元禄享保中間時代
- 暮らしのことば 新語源辞典
- 語源梅
- 古事類苑全文データベース
- 草木六部耕種法 (巻十七、リンク先の466頁)
- 続・国語語源辞典
- 長崎年暦両面観
- 日本語源大辞典
- Wikipedia –カボチャ–